雑記, 日系社会ボランティア

講義「広がる日本語教育の役割」で考えた日系日本語教育の点と線

今回もボランティアによるボランティア視点の記事です。

 

新学期スタート前にコロニア・ピニャールで行われた聖南西日本語教師合同研修会。昨年に続いて今年も参加させて頂きました。

 

国際交流基金(サンパウロ日本文化センター)の福島先生による「広がる日本語教育の役割」という講義を聞いて、自分なりに考えたことを書いていきます。

 

  1.  資源としての日本語
  2. 「守るために壊す」
  3. 日本語教育は点か線か
  4. ボランティアは点か線か
  5. 最後に

 

 

1. 資源としての日本語

2017年8月に南米日本語シンポジウムをベースに、ブラジル日本語教育の役割やニッケイ社会のポテンシャルについて考え、これからはなんのために、そしてどのように日本語を教えていくかを考えてみよう、という内容でした。

 

その中で日系社会には他国に比べて言語資源が豊富、というお話がありました。

日系コミュニティー、日本の年中行事、日本語がわかる祖父母・親・親戚、日本語ができる友達…日系という枠を飛び出してもアニメ、漫画、映画、Youtubeも、十分な資源といえます。

 

その人に必要な(言語)資源を、ビジョンを持って適切な形に加工すれば、使い続けられる価値が生まれる。

 

加工さえすればまだ使えるのに資源の価値に気づいていない、または加工するためのビジョンが、一部の日本語学校や日系協会にはないんだなと思いました。

 

 

 

2. 「守るために壊す」

【加工】を辞書で調べると、こう出てきます。

人手を加えること。細工すること。原料または他の製品に手を加えて、新しい製品を作ること。

 

私は加工という言葉を聞いたとき、「削る」「一部を捨てる」という作業過程が頭に浮かびました。そこで思い出したのがこの動画。

バイリンガールことYoutuberのちかさんが、ハリウッドで衣装デザインをしている日本人の押元さんという方をインタビューした時の動画です。

もともと着付け師で、着物はクラシックしかないと思っていた押元さん。ハリウッドで活動された経験からこんなことを言っています。

「もちろん伝統も基本も大事。
でも壊さないと新しいものはできない。
守っていくためにはやらないといけない」

守るために壊す、これって日本語教育にも当てはまるのではないでしょうか。

 

 

ときに、日本人でもびっくりするようなコダワリが日系の日本語教育には見られます。

新しい先生が日系人ではない旨を保護者に確認した、とか。

「先生、これ日本語でなんていいますか」
「ん〜、〇〇(カタカナ)かなぁ」
「漢字の言葉はないんですか」とか。

結果(能力試験)に執着している、とか。

 

まさにこういう概念や縛りを壊して、削っていかないと、現存する資源は守っていけません。

 

 

 

3. 日系日本語教育は点か線か

また、講義の中では日系社会のアイデンティティーについても触れられていました。

過去という既にあるものから、今、未来へと作られがちだけど、どうなりたいかという未来を考えてから今の自分を作る方法もある。

 

以前、「自分の受けた教育を肯定するために子供に同じ教育を受けさせようとしている親もいるのでは」と記事の中で書きました。

自分の過去をベースに次世代に日本語教育を考えたところで、そこにビジョンはありません。

 

日系社会の日本語教育は、過去から来てるのか、未来に繋がってるのか、というのを、点と線におきかえて考えてみます。

 

  • 自分たちも勉強したから子供にも…(過去)
  • 自分は日本語できないから子供には…(今)
  • 生徒が入った!授業スタート(今)
  • ボランティアが来た!会話の授業や習字をやってもらえた(今)

点としての教育

 

  • この学校ではこんな子を育てたい(未来)
  • 異文化がわかる子になってほしい(未来)
  • 外国人との接触に慣れておいてほしい(今→未来)
    そのためのJICAボランティア

線としての教育

線としての教育にあるビジョンにはもはや「日本語」だけに拘っていません。

ほんとうに学んでいる人のことが考えれられていれば線になります。

 

 

4. ボランティアは点か線か

少し前まで、ボランティアも線になるべきだと私は思っていました。

前任と後任が引き継いで、縦にも横にも繋がればもっと質のいい活動を効率良くできるはず!と。

でも実はそんなの無理なんです。

 

配属先がどんな要請を出したのかもわからない、後任がいつ来るかもわからない、どんな人がどんな気持ち・熱量でやってくるかもわからない。

そしていろーんな大人の事情がスーパー上手く折り合わないとボランティアが線になることは難しい。

 

つまりボランティアは点です。線にはなれないし、そこ目指さなくていい。

 

「そんなの最初からわかってたじゃん」という声も聞こえますが、帰国まで4カ月を切ってやっとそうやって割り切れるようになりました。

たかが2年、されど2年。一時のボランティアとして点なりにできることをすればいいんだよ。と、自分に言い聞かせています。

 

 

5. 最後に

日本人がいくら意見・想い・アイデアを考え・述べ・残そうが、学校自体に軸がなければブレます。

 

日系移民の歴史、継承日本教育という立派な土壌の上にたつ日本語学校という木にとって、ボランティアは添え木や肥料にはなれるかもしれないけど、肝心な幹にしっかりしてもらわないと生徒という葉っぱは枯れ落ちていきます。

そんな考えを図にしてみました

 

帰国まであと115日、私にはできることってなんだろう。

 

 

 

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